パラグアイに行こう(3代目)

パラグアイの首都アスンシオン市からの発信です!!

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第21回全米日系人大会・アスンシオン大会(2024年9月11日)

第21回大会はアスンシオンで開催されました。(2024年 9月 6日~ 8日)コロナで開催が延期となっていて5年ぶりの開催となります。アスンシオンでの開催は1991年の第6回大会以来33年ぶりの開催です。若い世代が準備を進め、華やかで内容のある大会になったように感じます。初日は主にパラグアイ日系女性の会が運営を行い、登壇者のほとんどが女性でした。外務省の代表、大会運営委員長が男性であっただけで、大使、JICA所長、セントロ日系会長、日本から来た二人の学者、招待されたジャパンタイムス社長、これが全て女性という状況でした。女性の首長が当たり前になり、米国大統領、日本の首相も女性が有力候補になっている昨今、「女性が偉い人」という状況に特にパラグアイ日系では慣れて来ているように感じます。(慣らされてしまった?)

歌謡コンクール

アスンシオンで開催された大会の大きなイベントは歌謡コンクールです。土曜日の夜に人造りセンターで開催されました。33年前の1991年、第6回大会と同じ会場です。当時私はこのイベントの1スタッフでメキシコチームの担当で、到着時の迎えから練習などのお世話をしていました、今回は1観客として楽しませていただきました。観客は6割程度の入りでしたが、これはこの大会に登録された方は全員来場すると計算し、空いた席に一般の方を入れるという方式を取ったためだと思います。大会参加者の中で時差、旅行の疲れ、他の約束を取っている方でこのイベントに参加されない方も多かったと思います。

イベントは午後7時に開始、35人が熱唱し、午後11時に終了しました。パラグアイからも10人が参加しましたが、予選の時と比較して各段に上達していました。国別団体と個人で採点が行われ、団体は1位アルゼンチン、2位ブラジル、3位パラグアイ、個人の優勝者はブラジル代表の方でした。以前はど演歌が多かったのですが若い参加者も増えてポップス系も増えたように思います。フィナーレも盛り上がりとても素敵なショーで楽しむ事が出来ました。

《パラグアイ》汎米日系人大会5年ぶり開催=世界500人以上参加=「持続可能な未来を共に築く」テーマに討議

(ブラジル日報)

パンアメリカン日系人協会(末永フェルナンド会長)主催の「第21回パンアメリカン日系人大会(COPANI)」が6日~8日、パラグアイ首都アスンシオンのパセオ・ラ・ガレリアで開催された。2年ごとに開催されている同大会だが、2019年ペルー大会以降、コロナ禍の影響で開催が延期され、5年ぶりの開催となった。在パラグアイ日本大使館、JICA後援、パラグアイ日系女性の会(MNpy)協力。今大会には、パラグアイ・セントロ日系やパラグアイ日系・日本人会連合会をはじめとする団体やブラジル、アルゼンチン、ペルー、チリ、メキシコ、ボリビア、アメリカ、カナダ、日本からの参加者があり、参加者数は500人以上となった。参加者らは「持続可能な未来を共に築くーオニョンディベパ(グアラニー語OÑONDIVEPA皆と共に)」をテーマに3日間にわたって日系社会の今後について討議した。

 6日に行われた開会式では、パラグアイ・セントロ日系の関ステファニー会長が司会を担当し、冒頭で末永会長が「パンアメリカ日系人の友情の一つとして日系社会を維持してきました。この友情は、先祖が残してくれた大切なものです」と語った。来賓参加者の野口泰外務省南米局長は、5月に岸田文雄総理がパラグアイに訪問し、日系人と懇談したことに触れ、次世代育成に力を入れていきたいと話した。海外日系人協会田中克之理事長は「本大会開催にあたって、MNpyから多大な貢献をして頂いた。とても大事な存在」と話した。パラグアイ日系・日本人会連合会の石田ミゲル会長は「今回、無事に開催できたことを嬉しく思います。様々な意見交換ができる場となることを期待しています」と述べた。その後、「女性の政治と公務、変革的役割」について在パラグアイ日本大使館中谷好江特命大使が実体験を基に講演した。続いて、株式会社ジャパンタイムズ末松弥奈子代表取締役会長が登壇し、「The Japan Times が伝える日本の持続可能のいま」についての特別講演を行った。 同日夜には在パラグアイ日本大使館においてレセプションが開催され、参加者は交流を深めた。

 2日目は、若者のアイディンティや今後の日系社会について考える発表とマーケティングや商業に関する発表とに分かれて講演が行われた。参加者は、「両発表共に実りある時間となった」と満足げな顔を見せた。最終日は、パラグアイ・セントロ日系の施設でお別れ会が盛大に行われ、パラグアイ自慢のアサードが振る舞われた。閉会式では、関会長から今回、ボランティアとして参加したパラグアイ勢一同へ感謝の言葉が述べられた。また、次回の開催地がブラジルと発表され、ブラジル一行から喜びの声があがった。その後、高知県からの移民が多いパラグアイならではのよさこいや、太鼓の演奏、パラグアイ伝統芸が披露された。最後には打ち上げ花火が上げられ、2024年のCOPANIが締め括られた。

第6回・アスンシオン大会(1991年)

第6回大会はアスンシオンで開催されました。(1991年 7月25日~28日)セントロ日系が主体となり、この大イベントを成し遂げました。大会開会式には当時のロドリゲス大統領を初め外務大臣、日本からはアントニオ猪木参議院議員も列席し、華やかなものでした。主会場はホテル・エクセルシオールを使い、大使館ならびにホテル・ヨット&ゴルフで夕食会が開催されました。実はこの大会まで外国の日系人の間でもパラグアイに対する認識が不足しており、「本当に大丈夫なのだろうか?」とか「実際、出来るのだろうか?」等という危ぶむ声も多かったのは事実です。この大会に参加されて実際にパラグアイを見て体験した方はパラグアイに対する見方も大きく変わったように思います。

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